2016年2月8日月曜日

ひと2 - 梅さんとケンケン -

                                                                      H28. 2. 8

 随分と更新の間が空いてしまいました。
 言い訳は、1月の校長会での研究発表や北海道大学での講義の準備等や寄稿文の執筆等々です。校務と相まって忙殺されましたが、原因は、生来のぎりぎりのやっつけからです。平素、これからはレジリエンス力(土壇場力)だ!と、うそぶく自分もさすがに引き算をせねばならず、遂に年賀状に手をつけませんでした。四十年以上つづけてきた慣習を中断するのと義理を欠く行為に、蚤のような心臓を持つ自分は未だいただいた年賀状に目を通すこともできないでいます。
 この間の執筆原稿を添付しますので、日頃の私の思いの一端を汲み取っていただけたらと思います。また、北海道大学の講義でのパワーポイント資料もホームページにアップしてありますので興味のある方はご覧ください。

 昨年の4月1日、新任の教頭さんが着任しました。顔を拝見した瞬間、「あっ、梅さんだったんだ」と思いました。教頭時代の前任校で柔道の専門委員をしていた彼を、大会の当番校業務の中で何度も見かけていましたし、傍目の人物評で、将来管理職に進んでもらえたらと思っていたひとでもありました。ちなみに、「梅さん」とは、漫画「ど根性ガエル」の登場人物の寿司屋の梅さんに自分の勝手なイメージを重ね合わせてのものです。併せて、42歳の彼は若く眩しくもあり、柔道で鍛え上げた体躯に満ちているエネルギーを感じとりました。一方で、自分も同い年で管理職になったことを振り返り、当時こんなふうに見られていたのだと実感しましたし、武道系の管理職が揃って歩いて周りのひとに威圧的に受け止められたらどうしようかと思案したりでした。 
  私がお仕えした校長先生のお言葉は、今の自分の管理職としての座右の銘です。「管理職は、生徒と先生の人生を預かる仕事だ」「教頭さんが学校運営をしやすいように立ち振る舞うことを心掛けいる」。自分も、常にこのことを意識して学校経営にあたっています。教頭さんは学校経営のパートナーであり要です。教頭さんの存在無くして学校経営は成り立ちません。
 梅さんは、何より職務に臨む姿勢がよい。生徒が好きで教育的信念をもち、吸収しようとする前向きさや謙虚さを備え仕事に誠実さが現れています。この頃では、アイデアを示し提案する姿勢も認められるようになりました。勿論、経験も浅く未熟ですから指導や助言はします。時に、校長からの厳しい叱責に眠れぬ夜を過ごされることもあったと推察します。正直な方なので凹んでいるときは表情にあらわれるのが人間味があってよい。キャリアを積んで、ゆくゆくは北海道教育の推進に尽力される人材だと確信していますし、その分私自身、校長の人材育成としての責任も痛感します。
  梅さんの前任の教頭さんも誠実な方で全幅の信頼をおいていました。新米校長をよくサポートしてくださいました。茶目っ気があり、内に秘めた感情の強さはうかがわれますが決して表にはあらわさず安定感があり、教職員の話によく耳を傾け学校をまとめていただきました。私の愚痴にも耳を傾けていただき随分救われました。時折、ご自宅から愛犬のケンケンがやってくるのにとても嬉しそうにしていらっしゃいました。大過なく校長生活をスタートできたのはケンケン教頭のお陰です。赴任先の校長先生からも力を発揮されている旨を聞き及んでいます。
 職務上の上司なれど、教頭さんから学ぶことはあり、また、校長としてのメタ認知の存在でもあります。平素、学校経営を推進していく上で、校長と教頭との関係性の重要さを努めて意識しするようにしています。
 六人の校長先生にお仕えし多くを学び経験を積みました。今日の自分を思うとき、当時、校長先生方にあっては教頭としてどのような存在であったのかつらつら考えます。






2015年12月22日火曜日

ひと - 知内町教育長と中頓別町教育長 -

                                                                      H27.12.21

 学校関係者である自分ががこんな風に言うとお叱りを受けそうなのですが、市町村立の教育委員会がマスコミや世間の非難を浴びる様子を見るにつけ、そういうことが起きるのもあり得ないことではないと思います。教職経験のある方であったり、教育行政職で日頃から教育現場と向かい合っていたキャリアを持つ方ならまだしも、昨日まで、全く畑違いの部署で働いていた役所の職員が、いきなり学校現場で適切な指導や助言をできるとは残念ながら思えません。以前、先月まで役場のある課の係長さんだった方が主査として、町内の義務教育学校へ学校教育指導に出向いているのを目の当たりにしてびっくりしました。さらに、その指導的立場にある教育長が、つい先頃まで某課の課長さんであった方でした。プライベートで話を聞くにつけ気の毒にすらなりました。もっと言うなら、新しい教育委員会制度になって首長の権限が強化されましたが、市町村長さんが、教育委員会もしくは教育委員会を通して学校に対し、これまた迅速且つ適切な指導や助言を具体的に行うことがどれくらい期待できるでしょうか?私自身の考えは、否です。一校の監督者として、平素より、教育委員会には骨は拾っていただくにしても後ろには誰もいないという覚悟で仕事をしています
  さて、のっけから悲観的な話題になりましたが、本町の教育長さんは違います。教育職や行政経験のキャリアをお持ちで、教育にあって時代の先(せん)をいく方です。コミュニティースクールやインクルーシブ教育の導入、高校における入学生徒の確保等々、様々な施策を展開されます。仕掛けの巧みさや実践力は刮目に値しますが、何よりも、その人物には畏敬の念を禁じ得ません。教育に関して、本町で一番熱い方かもしれません。ぶれずに信念を貫き通される方です。自分が学生の頃の恩師には見かけた記憶がありますが最近はついぞ見かけなくなりました。失礼をご寛恕いただき僭越を承知で申し上げるなら、児童生徒のこととなるとムキにすらなられるお姿はやんちゃで、懐かしいような微笑ましいような思いがします。また、人を動かす妙をお持ちです。奢らず偉ぶらず、いつも必ず「お願いします。お任せします」と言葉を締めくくられます。
 何事にも通じるとおもいますが、最後に人を動かすのは心だと思います。
 こんな文章をしたためていると必ず脳裏に浮かぶのが、かつて、教頭時代にお仕えした校長先生です。現在は、中頓別町の教育長に就任されておられます。当時、こんなに心身共に健全で男気のある人物がいるのかと思っていました。「校長として、教頭さんの動きやすいようにすることを心掛けている」、「校長は、生徒と先生方の人生を預かる仕事だ」と、常、口にされていました。教頭にあって校長のなんたるかを語るとき、自分に一番しっくりくる言葉でした。また、機を見計らったかのように、お手製の男弁当やゆで卵、みかんを「ほいっ」といただいたものです。職員室で頬張っていると、先生方から「校長先生の男弁当ですね。嬉しそうですね」と言われました。      
  お二人は自分の尊敬する方です。
 教育は人なり。知内町と中頓別町の教育には、今後も希望が見出せます。 




2015年11月16日月曜日

学校運営協議会(コミュニティースクール)について

                                                                   H27.11.16

  先日、今年度、第三回学校運営協議会を開催しました。
 この度は、アドバイザーの北海道大学大学院研究院の横井教授にも遠路お越しいただき貴重なご意見やご助言、ご指摘を頂戴しました。また、田中教育長にも参加していただき、設置者の立場を離れて教育への熱い思いも語っていただきました。
 いつもどおりに各委員から、学校課題の解決に向けた忌憚のない意見が出され議論がなされる様子に、横井教授からは、熱心な協議でよい議論の場が形成されているとの評価をいただきました。現行の学校評議員制度が形骸化してうまく機能していない学校の話も耳にしますが、本校の学校運営協議会においては、時に、時間を忘れるほど熱い議論や意見交換が行われます。
 本制度の具体的な内容についてはここでは割愛しますが、上手く機能していることの最大の要因は、メンバー構成にあると思います。様々な職業、年齢で構成された方々は、家庭や地域のダイレクトなメッセンジャーであり、同時にまた、学校のスポークスマンでもあります。「校長先生、この間、あるお母さんが○○じゃないかって話していましたが、もっと伝え方を工夫したらいいんじゃないでしょうか」とか、「うちの町の方が、最近の知内高校は××じゃないかって言ってたので、そうじゃないですよ、先生方は○○な思いで生徒達のことを本気で考えてやっているんですよ」と、いう具合です。
 そこには、前提として、本校の教育活動をよく理解していただいてことがあります。学校行事はもとより、日頃の授業の様子も把握していただいていますので、目下の学校課題を切り出しても議論がうまくかみ合います。 
 また、教育課程についても具体的に把握していただいています。学校教育目標を踏まえてどのように管理し改善していくかのヒントもいただけます。学校評価に係る適切な外部評価もいただいており、本校の教育活動のマネジメントにおいて有効に反映させることができます。
 さらに、毎回、協議会の様子は教職員にも伝えていますので先生方の意識改善を図ることができ、協働体制の構築にも役立っています。
  地域社会と一体となった教育環境づくり、学校、家庭、地域が孤立しない、双方向型の関わり合いの中で形成されていく学校を中心としたコミュニティーの在り方を考えるとき、コミュニティースクールは極めて有効な施策であり、学校のメタ認知機能であるともいえます。
  議事録は、その都度ホームページにアップしていますので、模様についてはそちらをご覧ください。
 横井教授をして、「議論の循環の可能性がある」とおっしゃっていただきました。      でも、道内では、本校を入れて、まだ、2校にしか導入されていないんですよね・・ 






2015年11月11日水曜日

格好悪いひとたち - それぞれの努力の定義 -

                                                                                          H27.11 . 11
 
  私事で恐縮ですが、父が他界した折、書斎の机の引き出しの中の便箋に孫宛の文面がしたためてあるのが見つかりました。遺言のタイトルはないものの、内容はそれでした。母は勿論のこと長男の自分にも遺言らしきものはありませんでしたので、いくら孫の可愛いさとはいへ、一瞬、不満の念が湧いてきてそれがおもわず口をついて出てしまいました。すると、側にいた息子曰く、爺ちゃんは、いつだったか、「お前のお父さんは努力家だぞ。それは見習わんといかんぞ」と、言ってたよと。それを耳にして驚愕してしまいました。顔を合わせば、いくつになってもバカ息子と言われてましたし、他人様の前でも家族を罵倒して憚らぬ九州人でした。何よりも、身内の人間に対して肯定的ともいえる評価を口にするというのは記憶にありませんでした。いやまてよ、これは、いかに自分がぼんくら息子であったかの逆説的表現ではあるまいか。もしくは、すごい皮肉の類ではないかといろいろな思いが頭の中を駆け巡りました。そのくらい「努力」の文字が意味するものが、自分自身とはとんと無縁の別世界の言葉だったからです。平素の自分をして、その場限り、行き当たりばったり、やっつけ、一夜漬け、等々。およそ自分の概念とする努力の定義とはかけ離れた人間だと思っています。そうした愚息をして、努力する人と評したことを踏まえ、改めて父の意味する努力の意味を考えてみました。
 心当たりなのは、最後までジタバタあがくことでしょうか。高校時代、考査前の一週間と期間中は深夜ラジオの第一部が終わるまで、もしくは徹夜で勉強。試験開始の直前までノートを開き止めの合図があるまで鉛筆を走らせていました。大学受験前は、睡魔との闘いに空腹を味方につけるために食事制限をつづけた結果、三ヶ月で11㎏体重減。遂に授業中に栄養失調で保健室へ運ばれてしまいました。大学では、レポートの出来に納得がいかず三日間徹夜して書き直しをしました。教員採用試験の前夜も、明け方まで試験会場近くの友人宅で参考書を眺めていました。剣道の試合でも、止めの合図がかかるまで打ち込みつづけました。単に往生際が悪いだけなのですし計画性の欠如に他なりません。一方で、力が抜けていない生き方にもなるでしょうし狭隘な人間性を表していると思います。ただ、最後の瞬間まで拘りつづけることはしているようで、この一部分を以てして息子の行動を父は努力と評したとしか思い当たりません。
 ところで、前回、格好いいひとたちについて書きましたが、3年生で進路が決定した生徒諸君が格好悪いひとにならないように願っています。就職先が内定した途端、授業態度がよろしくなくなったり、明らかに手抜きの結果著しく成績を落とし赤点をとってしまったり努努無きよう、残りの高校生活を有意義に送っていただきたい。
 そういえば、過日の校内マラソン大会で、体調も悪くないのに歩いてゴールしている生徒を前にある先生が叫んでました。
 「あんたたち格好悪いよ!」
 自分が一番投げ掛けたかった言葉を代弁していただきました。





2015年10月5日月曜日

格好いいひとたち

                                                           H27.10 . 5
 
 今日から、2学期が始まりました。生徒諸君がブレザーを着用した正装へと衣替えした姿を目にするにつけ、ここ北海道での秋の深まりを実感します。月曜日とあって、生徒や教職員の体温の抜けた週初めの校舎は今季一番の冷えを感じます。
 週に数回、町内をランニングするようになり、走る中で気候を体感します。同じ町内でもある地点に差し掛かるとスッと温度が下がります。南国育ちの自分は海を泳いでいるときの海水の温度変化を思い出します。地形に拠る現象でしょうが、同じ地域にあっても季節の訪れは微妙に異なるようです。植生や虫の声、木々を吹すり抜ける風の音に行く季節を想います。道ばたに咲く野草も乾いた音をたててきました。本校の正門から生徒玄関にかけてマリーゴールドが植えてあり登校してくる生徒諸君や訪れるひとを入口まで誘ってくれていましたが、つい先頃今年の役目を終えました。
 先月の月末の休日、昼過ぎにランニングの帰着地の学校に戻ってくるとマリーゴールドに水遣りをしている男子生徒の姿がありました。休日なのにありがとう、もうじき花も終わりだねと声を掛けると、部活のついでですからと、屈託のない青年らしい表情を浮かべていました。誰に言われるでなくとってつけたようでもなくホースの水を加減している姿は格好いい。
 本校のボランティア部、部の性格上、大会出場で壮行されることもないし大会成績が表彰されることもありません。しかし、週一訪問する地元の施設のお年寄りの方たちのスターだし職員の方々から感謝を受けています。函館の街角での募金活動等々、はにかみながら一生懸命に活動するその姿は格好いい。
 中学校向けの学校説明会当日の朝は生憎の雨模様で、生徒玄関の傘立てには滴のついた傘がたくさんたてかけられていました。無造作に突っ込まれているものもあり、エントランスで中学生や保護者を迎えるにどうしたものかと出勤時一人思案していました。すると、朝の職員打合せが終わったあたり、一人の先生が濡れた傘を一本ずつクルクルと巻いておられました。日頃の勤務の様子からも、気づかれて自主的になさっていることは推察されました。ひと知れず黙々と手を濡らしている姿は格好いい。
 学校の実力とは、こういうところに現れると思います。







2015年9月11日金曜日

審査の話

                                                                      H27. 9.10
 
 「審査」・・微妙なニュアンスが含まれる言葉です。とりわけ、評価について、その基準や正確さ、妥当性等、日頃からその在り方に気を遣う我々教員にはビミョウな含みをもつ言葉に思えます。
 自分の場合、幾度も剣道の昇段審査を受けてきたので馴染みのあるぶん扱いづらい言葉だとの印象を抱いています。私は、幸運にも比較的順調に昇段してきましたが先輩や仲間の中には随分と苦労されたひとが多くいます。特に、六段からは、全国審査にもなり合格率は一挙に低くなります。六段合格まで受験料や交通費、滞在費諸々で百万円費やしたと吐露する方もいました。剣道は、文字通り剣の「道」ですから、当然技量だけではなく人間修養の手段ですから極めんとする精神性が重要です。「気剣体の一致、懸待一致、残心・・」。極めて抽象的な概念を表す専門用語であり口頭で説明するのは困難です。全日本選手権大会のTV放送での解説者と実況担当アナウンサーの会話は時に苦笑いしてしていまいます。一方で、抽象的かつ高次の精神面での修養が求められる世界であるが故に奥深く、「道」所以たるものです。 
 その昇段審査は、高段位の審査員五名一組が会場ごとに配置され、受験者は二回の立ち会いを行います。一回の立会時間は1分程度。その僅かな時間でお眼鏡にかなわなくてはなりなりません。端から見ていて、このひとならというひとが駄目だったり、このひとはというひとが合格していたりということもままあります。大先生におかれましては、きっと未熟者には見えぬものが見えているのかと。ただ、審査用紙が返却されることも公開されることもないので、不合格の場合、どこが不出来であったのか、反省すべき点はなにか、今後の稽古に向けての改善すべき点はなんなのかすべて自分自身で考えねばなりません。つまり、客観的なデータが極めて乏しい中で自己と向き合い稽古を積んでいくことになります。尤も、そこにこそ魅力があり長くつづけていくことの要因にもなってるのですが。
 さて、過日の吹奏楽の全国大会の予選では、本校吹奏楽部は感動的な演奏を行いました。贔屓の表現ですが、澤邊先生がタクトをかざした瞬間から終わりまで、まさにキタラホールの場を支配していました。剣道でいうところの残心まで演奏後にも感じられました。成績発表までの心境は、全国大会で更に多くの人たちにこの演奏を聞いてもらえることができると確信に近い気持ちでした。結果を聞いて一瞬放心してしまいました。同時に、これ以上、どこをどう練習すればよいのか、生徒諸君にどんな言葉をかけようか・・しかし、審査結果は真摯に受けとめ捲土重来、次回を期待して会場を後にしました。
 帰校して審査結果の用紙を目にしました。評価項目は、技術と表現の2項目の10段階評価と特記事項欄。う~む。さすが音楽、芸術の世界。剣道の審査に匹敵する評価だな。巡り合わせがよければ来年こそは行けるのかなと。

2015年7月24日金曜日

一服の清涼剤

      校長室の花
                                                                      H27. 7.24
 
 華道部の生徒が、学校祭の展示の後、校長室に作品の生け花を届けてくれました。
 「咲ききって花のかたちをこえけるも」 いまも残像としてあります。
  今日、また、部活動で活けた花を届けてくれました。向日葵と霞草の組合せです。
 目下、この空間を支配しています。